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2015年6月

折笠先生との再会ー

前回、野口体操と私について書きましたがー

ある時、野口先生から電話がかかってきた。「あなたは、折笠先生を知っていますか?」

小学校1,2年の担任の先生だー「何故、野口先生はご存じなんですか?」と、ビックリして聞いた。

「羽鳥さんに電話しなさいー」とおっしゃったので、すぐに電話した。

その頃、ある雑誌で野口体操がとりあげられ、羽鳥さんと私がモデルになった。

その雑誌を彼女が折笠先生に送ったそうだ。それを見た先生は、私の母が映っていると思ったらしいー

ちょうど私が小学校に入学したころの母の年齢である私ー

何と、羽鳥さんは私の小学校の先輩で、私たちの入学式に歓迎の辞を読んだ方だった。

折笠先生は担任ではなかったそうだが、親しくおつきあいしていたのだー

先生は、私たち小学校2年を終えて、職場を変わられた。2015629165253.JPG

それから私は、ほとんど音信不通状態だった。

これをきっかけに、先生と再会した。それは、ちょうど先生のお母様の葬儀の日だった。

お互いに喪服で、お互いに近づいた時はドラマのワンシーンのような感覚だった。

それからは、羽鳥さんとの距離もグンと近くなり私は「オネイチャマ」と呼んでいまだに深いお付き合いだ。

先生とも、それからづっとお付き合いが続き、私の両親が相次いで亡くなった時も寄り添ってくださった。

私の演奏会にいらしていただいたり、先生の書道展に伺ったりー

今、先生はご自宅で病床にあられる。先日、羽鳥さんと伺った時にもこの話をされ「まるで作り話みたいよねー」と

おっしゃっていた。折しも、このところ今までお互いに連絡なかったのだが、小学校の同窓会をやることになり、

いろいろな人と連絡している。今は、メールやラインだ・・・

何人かの人に、私と折笠先生との関係を聞かれたのだが、口頭だと長くなるので=こういう訳なのですー

 

私と野口体操ー

20代は、腱鞘炎に始まり、肋間神経痛に悩まされ、ひと月の半分は痛みで歩くのもままらなかった日々が続いた。

回数券を買って、カイロプラクティックに通うが一向に治らず、この先どうなるのか・・・・ととても不安だった。

あるとき、お弟子さんの紹介で、ヨガに行った。体はガチガチ、あるポーズをしたときに背骨が「バリバリー」とすごい音がした。

もしかしたら、自分でできるカイロプラクティックになるかもーと、瞬間思った。

それから、私はヨガにのめりこんだ。お蔭で、痛みも半年間でなかったし、いろいろの不調もだいぶ改善された。

しかし、呼吸法、瞑想まで追求するうちに何かモヤモヤしたものがあった。(私は、もしオウムに関わっていたらーと、いまだにゾッとする。他人事には思えない)

ちょうどその頃、NHKで一人の人を5日間続けて話を聞く「訪問インタビュー」という番組があり、野口先生が出演していた。

その話を聞いただけで、私のヨガが変わった。早速、先生の著書「原初生命体としての人間」を読み、先生宅に電話をした。(当時は、著者の住所、電話番号が載っていた)

先生の講義は、最初の一時間は、板書での話、そして残りの一時間が動きになる。

体操だが、動きなのだ。ヨガでは、ポーズ優先で動きなんて考えた事はなかったー

それから、先生が亡くなるまでの15年間を通った。野口体操を説明するのは身体哲学が伴うので難しいー

でも、私はそこで筆舌に尽くせないほどの事を学んだ。

今月、羽鳥操著の「野口体操入門」が出版された。今回は、第一章の「野口体操前史」と「野口体操と三島由紀夫」が読み応えある。

野口体操がどうしてこういう形になったのか、先生のさまざまな苦悩や思いがとても伝わってきた。

野口体操に出会っていなかったら、少なくとも「今」の私ではないだろうということは、確かだと思う。201562117842.JPG