2015年6月
折笠先生との再会ー
前回、野口体操と私について書きましたがー
ある時、野口先生から電話がかかってきた。「あなたは、折笠先生を知っていますか?」
小学校1,2年の担任の先生だー「何故、野口先生はご存じなんですか?」と、ビックリして聞いた。
「羽鳥さんに電話しなさいー」とおっしゃったので、すぐに電話した。
その頃、ある雑誌で野口体操がとりあげられ、羽鳥さんと私がモデルになった。
その雑誌を彼女が折笠先生に送ったそうだ。それを見た先生は、私の母が映っていると思ったらしいー
ちょうど私が小学校に入学したころの母の年齢である私ー
何と、羽鳥さんは私の小学校の先輩で、私たちの入学式に歓迎の辞を読んだ方だった。
折笠先生は担任ではなかったそうだが、親しくおつきあいしていたのだー
それから私は、ほとんど音信不通状態だった。
これをきっかけに、先生と再会した。それは、ちょうど先生のお母様の葬儀の日だった。
お互いに喪服で、お互いに近づいた時はドラマのワンシーンのような感覚だった。
それからは、羽鳥さんとの距離もグンと近くなり私は「オネイチャマ」と呼んでいまだに深いお付き合いだ。
先生とも、それからづっとお付き合いが続き、私の両親が相次いで亡くなった時も寄り添ってくださった。
私の演奏会にいらしていただいたり、先生の書道展に伺ったりー
今、先生はご自宅で病床にあられる。先日、羽鳥さんと伺った時にもこの話をされ「まるで作り話みたいよねー」と
おっしゃっていた。折しも、このところ今までお互いに連絡なかったのだが、小学校の同窓会をやることになり、
いろいろな人と連絡している。今は、メールやラインだ・・・
何人かの人に、私と折笠先生との関係を聞かれたのだが、口頭だと長くなるので=こういう訳なのですー
私と野口体操ー
20代は、腱鞘炎に始まり、肋間神経痛に悩まされ、ひと月の半分は痛みで歩くのもままらなかった日々が続いた。
回数券を買って、カイロプラクティックに通うが一向に治らず、この先どうなるのか・・・・ととても不安だった。
あるとき、お弟子さんの紹介で、ヨガに行った。体はガチガチ、あるポーズをしたときに背骨が「バリバリー」とすごい音がした。
もしかしたら、自分でできるカイロプラクティックになるかもーと、瞬間思った。
それから、私はヨガにのめりこんだ。お蔭で、痛みも半年間でなかったし、いろいろの不調もだいぶ改善された。
しかし、呼吸法、瞑想まで追求するうちに何かモヤモヤしたものがあった。(私は、もしオウムに関わっていたらーと、いまだにゾッとする。他人事には思えない)
ちょうどその頃、NHKで一人の人を5日間続けて話を聞く「訪問インタビュー」という番組があり、野口先生が出演していた。
その話を聞いただけで、私のヨガが変わった。早速、先生の著書「原初生命体としての人間」を読み、先生宅に電話をした。(当時は、著者の住所、電話番号が載っていた)
先生の講義は、最初の一時間は、板書での話、そして残りの一時間が動きになる。
体操だが、動きなのだ。ヨガでは、ポーズ優先で動きなんて考えた事はなかったー
それから、先生が亡くなるまでの15年間を通った。野口体操を説明するのは身体哲学が伴うので難しいー
でも、私はそこで筆舌に尽くせないほどの事を学んだ。
今月、羽鳥操著の「野口体操入門」が出版された。今回は、第一章の「野口体操前史」と「野口体操と三島由紀夫」が読み応えある。
野口体操がどうしてこういう形になったのか、先生のさまざまな苦悩や思いがとても伝わってきた。