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あかつき会通信

遊動龍神ー

昨日、10月8日は毎年恒例の埼玉県北本市の早川聡子さんのアトリエ遊動天都でのイベントー

今年で8年目と聞いて、我ながらビックリー

今年のテーマは「遊動龍神」

何と、アトリエの外壁にもモモコという青竜が~~~

そして、アトリエの内部は赤と青の龍が!!!

毎年、素敵な作品のなかで演奏させていただくのが楽しみなのですが、あまりの迫力に、唖然・・・・

2階では聡子さんの作品が展示されています。(10月9日~15日まで)

まず、お琴のワークショップ。ほとんどの子供さんや大人の方も全く初めての方たちでしたが、

見事に「さくら」をマスターしました。日本の楽器なのですから、一度は体験して頂きたいですね。

続いて私どものライブで、秋の季節に合った曲、そしてジブリシリーズから「いつも何度でも」「君をのせて」

「海の見える街」をやりました。今の高校2年生が生まれた年に「千と千尋」が作られたそうで、

今、筝曲部でも文化祭に向けて練習しているのですが、その子たちから聞いた話をネタにトークしました。

今の子は、テレビの金曜ロードショウでジブリ作品を見ているのですよ~

その後は、小若順一さんの「脳の働きをよくする食事法」の講演があり、

最後はこれも毎年の楽しみである小若さんのコレクションの日本酒と皆さんの手作りの美味しいお料理!!!

本当に、元気で良かったとつくづく思いました。

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禅と骨ー

先日の夕刊の広告が目に入ったー

2017918144856.JPG南禅寺の僧侶であったヘンリーミトワさんに関した映画らしい・・・

水上勉さんとヘンリーさんの対談「辞世の辞」は2003年の出版された時に読んでいた。

そして、ヘンリーさんという禅僧が南禅寺にいて、亡くなったことも知っていた。

広告によると東中野のポレポレ座という映画館でやっているそうでー

17日にはトークショーがあるらしいー

監督と春風亭一之輔(この落語家さんはNHKのプロフェッショナルで見た!)

折しも台風の接近でしたが、独り身の気軽さ=20時半~の上映へ~

何とも、すごい映画でした。

ドキュメントとドラマとアニメが、そして音楽が融合していてー

アメリカ人の父と新橋の烏森(ここが私的には受けた)の芸者の間に生まれた3人の子供ー

その三男がミトラさんで、第二次世界大戦のなか自身の決断でアメリカへ渡り強制収容所を転々とし、日本人の妻と結婚し戦後も幸せに過ごしていたのにー、ハーフなゆえ大変な苦労をされアメリカで禅と茶道に出会い、そして日本に帰り妙心寺で得度、天龍寺内に庵を与えられそこで住む・・・

普通はそれだけでドラマだ。ところが・・・・

この人は・・・というところが監督のスゴイところ!!!

中村監督は「ヨコハマメリー」から11年ぶりに撮った2本目というがこの作品にも7年以上時間をかけているー

そしてミトラさんは亡くなる。これがまた新たな展開で葬儀から火葬場でのミトラさんの骨は水上勉さんの焼いた骨壺に収まる。

そして、3回忌の納骨の日、ミトラさんが谷中の墓地から移した母、兄の骨、そしてアメリカから送られてきた父と思われる骨と共に、天龍寺の墓地に埋葬されるー

人間は生まれた時から、必ず最後は「骨」になることは分かっているのにー

ミトラさんの母、兄、父の骨が一緒に埋葬されるシーンは、皆一つ一つの骨がドキュメントーと衝撃的だった。

特に次女の方は天龍寺のそばに住み、結局両親の面倒を見ていたのだが、この人が一番性格的にはミトラさんと似ていたのか?

とにかくすごい愛憎で、ミトラさんが結局90歳過ぎても母が忘れられらかったように、彼女も父を忘れられないのだと思うー

とにかく、すごいものを見させてもらった。この監督にもエールを送りたい。こうやって、自分の作りたいものにこだわっている若者がいる!

まだまだ考えさせてくれる作品だ。「ヨコハマメリー」も見てみたいー

そして、このパンフレットがすごい!エピローグはまだ続いていた。ミトラさんの奥様は、この夏に96歳で亡くなった。

天龍寺にはいたくないと、老人ホームへ入っていたそうだ。そして、この映画に出てくる人の一人はその後、音信不通だそうだ(生存は確認)

いろいろ、一人一人が「骨」になるまではドキュメントということを知り=帰ったのは、12時半ごろだった=東中野~落合南長崎は4分、徒歩10分で自宅でしたー

監督にサインもらったよ~                            そして、先月私が行った天龍寺ー

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夏休みー②

二日目は、内子の街並みを見て、高知県へー

高知は、毎年伺っていますがなかなか他へは行かないものですー

四万十川で船に乗りー

20177261544.JPGこの橋は「沈下橋」水量が増えると沈みます。ですから決壊しないわけです。

最後の清流と言われるそうで、とても穏やかー

お琴に「四万十川」という曲もあります。来年やる???

そして、坂本竜馬さんの銅像がある桂浜へー

最終日は、肉体勝負?

まず、「祖谷の粉ひき唄」という民謡の地にある「かずら橋」を渡りました。

ちょっと、迷ったのですが人が多かったのでかえって渡れました。

高所恐怖症の人はダメですねー

そして、最後は「金毘羅さん」ですー

暑さの中,階段はハードでしたが、私は初めてなのです。

行ける時に行っておく!!!ということで、今年もあとイロイロ行く予定ですー

宿題もあるのですがー

遊びの合間に仕事???  遊ぶのも体力いりますー

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夏休みー①

学校もお教室も夏休みに入りましたー

と、いうことで早速四国へー

四国八十八ヵ所、別格二十霊場も周り四国四県は廻っていましたが、

今回は未だ行ったことのない場所でした。

初日は、まず徳島県。

201772614402.JPG市電に乗って松山城。途中まではケーブルで行きますが、そこからは歩きー

どのお城でも当然ながら、高くて大変な構造です。そう簡単には行けませんよね・・・

松山も3回目ですが、いつもは眺めるだけだった通称「坊ちゃん湯」道後温泉本館へ

話のタネに初めて入りました。まるで立って入るような深さ~

100年の建物で、これから10年かけて修復していくそうです。

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白山神社ー

今日は午後から雨も上がり、学校のクラブまで時間があったのでその前にー

何時もの地下鉄をひとつ先の「白山」で降りて白山神社へ行きました。

201761420351.JPGここは、紫陽花が有名で今の時期は「あじさい祭」をやっています。

学校の近くなのになかなかタイミングが合わないもので

初めて見ました=40年近く行っているのに・・・

狛犬も紫陽花で飾られ、富士塚も開放されており、様々な品種の紫陽花を

堪能しました。そこから学校までは歩いても10分もかかりません

今年のクラブは、生徒達の希望でスタジオジブリシリーズで2曲をやっています。

 

「千と千尋の神隠し(センチと言っている・・・)」の出来た年に生まれたそうで~

テレビでジブリ作品を知っているそうです・・・・

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文化学院ー

病院の検査が早く終わり診察までの時間があったので、以前から一度は行ってみようと思っていた「文化学院」の跡へいってみましたー

40年ぶり???明治大学があまりに立派で広くて、すっかり方向オンチの私は、山の上ホテルに繋がる方まで行き過ぎ・・・

何せ、私の記憶ではまだ学生運動の影響で、何だか看板だらけの記憶=こんなに広くて大きかったの?

とにかく、ツタの絡まるアーチがありました!(写真を撮ったのですが、スマホからうまくこちらに繋げず=facebookのほうにあります)

もう、学校は無くなっていることも知っていましたが、アーチを活かした建物で、唯一文化学院のプレートがあったのが嬉しかったです。

私の通っていたころは、今だ創立者の西村伊作先生のお子様たちがいらして、講師の方々もユニークな方々がいました。

月曜は特別講義のようなものがあり、その都度いろいろな方が来るのですが野坂昭如さんが「文化学院と言えば憧れの学校ー」なんておっしゃっていたのを覚えています。

先日も井上ひさしさんの娘さんがエッセイで学院のこと書かれていて、懐かしく読みました。

学校の前には、ガロの「学生街の喫茶店」のモデルになったという「LEMON」が建物は変わりましたが、ありました。

私たちの頃は、オープンテラスもあったように記憶していますが・・・

その頃の私といえば、午前の授業が終わると医科歯科大学の中庭を通り抜けて、湯島の家元のお宅まで坂を上り続けお稽古していただき、

また、坂を走り降りて学校へ戻り午後の授業を受け(お稽古日は昼食抜き)、帰ると自宅で夜のお弟子さんの稽古=勤労学生???

夜中まで、暗譜したり勉強したりーなので、遊んだ記憶はないのですが、青春の思い出ですねー

楽しかったです。その思い出に浸りながら病院へ戻ると、15時過ぎなのにまだ午前中の患者さんたちらしく・・・

結局、19時ごろに私の番でした。いかに、スーパードクターとはいえ、先生も患者さんも大変ですー

妹と夕食して帰宅したのが21時・・・・

でも、お陰様で順調で次回は半年後で良いとのことです。

 

 

第28回 品川区三曲協会演奏会ー

品川区三曲協会の演奏会は、毎年大井町駅前の「きゅりあん」小ホールで行われます。

今回で28回を向かえますが、最初のころは再開発のころで、とても不便でした=28年前???

駅から、ホールへ工事現場を踏切わたりながら・・・

その後、駅からビルへ直結にになり、つながったビルがマルイがビッグカメラになり、まだまだ

再開発が進んでいるのか???今日は、ホールへの入り口が工事現場状態~~~

 

これが諸行無常なのです。

でも、今年も杉浦先生御一門とご一緒に

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「妹背川」を勉強させて頂きました=アリガタイですー

荷物を持ちながら歩けること、先月は咳で唄えなかったのが声が続けて出せるようになったこと、

着物を着て帯が締められて歩けるようになったこと、

今は、一つ一つが感謝なのですー

こういうことが、アリガタイのですー

今日も、感謝です・・・

 

 

 

杵屋佐之忠師を偲ぶー

退院して間もなく、お知らせを頂いた。佐之忠師が4月6日に、お亡くなりになっていた。

 

私の父は戦争でニューギニアに行きマラリアにかかり、戦後日光の実家で静養していた。

日光には初代中村吉右衛門が疎開しており、終戦後間もなく疎開中お世話になって町民への招待公演が行われた。

父も地方(ぢかた=演奏者)に駆り出され、そのまま芝居に関わることになるのだが、稽古場も日光に開いた。

当時の日光は今からは信じられないが、芸が盛んだったようだ。

そういえば、私の幼いころも日光の芸者さんが日光の稽古場に来ていた。

そこへ、日光に疎開していた芝居好きの少年は父の所に入門する。

 

それから、この少年がいろいろ経験を経て「杵屋佐之忠」となりついに前進座の演奏責任者、音楽プランナーと

なったいきさつや、NHKのラジオ深夜便で2年にわたり放送された「三味線十二か月」の内容を含む師の著書「黒御簾談話」に詳しく書かれているがとても面白い。

昨日も読み直してみたが、前進座の創設に関わった役者さんたちのエネルギー、大変ではあったろうがある意味では今では味わえない

理不尽が通じた時代を生きていらっしゃったことをヒシヒシと感じる。

 

病床の父を見舞って下さり、枕の下に佐之忠師の撮った河原崎国太郎丈の舞台写真があったー

私も、いろいろお世話になった。中でも一番記憶に残るのは、第50回のあかつき会の記念演奏会ではゲストとして出演くださり、

トークと共に「黒塚」を私の箏、今瀬苔山先生の尺八で演奏して華を添えていただいたことは、何よりの両親へのプレゼントになった。

 

一昨年の前進座の国立劇場5月公演での「番長皿屋敷」の箏に使っていただき、稽古の時にお目にかかったのが最後になってしまった。

今日は、「偲ぶ会」が渋谷のホテルで行われた。

ありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。   -合掌ー

 

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仕事復帰ー

ゴールデンウイークが終わり、8日~復帰しました。いつも通りのスケジュールです。

さすがに、前日は緊張しました、というか不安でした。

術後のマニュアル通りの咳き込みと右半分、みぞおちから肋骨周辺のシビレや差し込むような痛みがあります。

お弟子さんは久々なので皆さん来ました。唄の声は出ません、ささやくような感じです。

でも、それ以外は思ったより疲れがなく、無事出来ました。

 

障がい者の所も「先生、風邪?」という程度で何とか大丈夫~

さて、水曜の学校のクラブが・・・まず、4階までの階段が・・・

ゆっくり上って、クラブは大笑いで元気にやれました。

ひとつひとつが、自信に繋がっていくようです。しかし、その日は6月4日の練習が自宅であり、

時間を見計らって帰ったのですが、ぎりぎりでした=歩くのがまだ遅いのですね。

荷物も持てません・・・・でも練習は7人位いらっしゃいましたが、元気にやれました。

 

不思議なのは、仕事のスイッチが入ると、痛みをあまり感じないのです。

痛み止めより効くのです。だから、一人で痛くなってきたときは、自分でお琴を弾きまくります。

不思議です=脳から何かの物質が出るのでしょうか?

 

木曜日は、術後初めての病院。回復には、まだ1,2か月かかるそうです。

驚くのは、気圧にたいして身体が反応して、苦しくなったり,痛くなったり・・・

せっかちな私はこの際、イロイロと時間かかる自分にイラつくのはやめてゆっくり物事を見る練習をしようと思います。

と、いう訳ではありませんが「西大寺展」を見に昨日三井記念美術館へ行ってきました。

久々のコレド室町に興奮し、いろいろ欲しいものがイッパイ=でも、持てない・・・・

楽しかったです。これで、今の状態でも復帰出来たことが、やはり嬉しいです。

あの、北海道の叔母さまも手術が終わったことと思います。ご無事を祈りますー

 

と、言うわけで6月4日(日)に舞台があります。

品川三曲協会主催の「日本の調べ」、大井町駅前「きゅりあん」小ホール  午前10時半開演

入場無慮です。私は、杉浦聡先生の御一門と一緒に「妹背川」の三絃をお手伝いします。

16時過ぎ出演予定です。

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報告ですー

一部の人にしか言ってなかったのですが、いろいろご心配くださる方もあり、また、無事に今を迎えることが出来ましたので、

報告させていただきますー

 

豊島区の肺がん検診で引っかかり、大きな病院で半年ごとの経過観察が続いていました。

昨年10月に「少し大きくなっているようなので、手術します!大きめに切りますので頑張りましょう!」と言われ何のことか理解できず・・・・

PCで調べて、多分これだろうと想像が出来て、急ぐ状態ではないことは分かりました。

妹がもう一件病院行ったほうが良いというアドバイスで、もう一つの大病院でイチからやり直しの検査ー

前の病院を逃げたことは言ってますので、「ウーン、切ってもガンじゃ無いかもしれないし、消えちゃう場合もあるしね~」また、経過観察ー

とにかく、切羽詰まった状態ではないことは分かっても、私にとっての一番は「仕事」=仕事が出来ないのならいなくなっても良いー

これしかない自分をつくづく身につまされました。

 

折しも、次の誕生日を迎えると母が亡くなった年と同じになります・・・・

ついに、来たかーと思いました。

毎日が、何か違う自分になっていましたー

 

12月の検診も、経過観察になりこれで来年3月の「あかつき会」が出来ると確信でき、とても嬉しかったです。

もう、稽古に入っていたのですが、「もしかして、手術といわれたら???」という不安がありました。

入院Ⅰ週間、仕事復帰までⅠ週間と聞いていましたので、私のわがままな理想は、新学期をちょっと手を付けて、手術するなら4月の末

そして、ゴールデンウィークで静養して、ゴールデン明けに復帰でした。

2月の検診で「ウーン、やっぱり消えないから切りましょう!」と外科へ廻されました。

これで、私の理想通り(?)の手術になりました。毎回、ドキドキも精神的に辛いですー

それから、思い切り会や他の仕事に集中することが出来、ある種のハイ状態のようにアクティブでした。

 

そして、4月3日が手術前の最後の診察でした。

まず、CTをとるときに、女性の係の人が「S先生って、どれ位待つんですか?」と聞かれ「そうね、午前中だと50人待ちくらいで、

今日は(15時ぐらい)29人待ちー」と私=それでも気が付かないワタシ・・・

そして、診察の待合室は座るところがない位で一体いつになるのか???

周りの診察は終わってきた・・・

そこへ、隣に座っていた方が「ダヴィンチ進められている方はいませんか?」と周囲の人に聞いてきた。

私は、勧められていたので、手を上げてお話をしだした。その方は、何と北海道から来ていて昨年10月に右をやって、来月左を手術するのに

ダヴィンチを勧められたという、70以上のお年だがすごく積極的でPCでいろいろ調べている。私の後ろの方は、長野県から来月、左を全摘だそうで・・・私は、この方たちから見れば言うのも恥ずかしい位の手術だし、30分位で来られるのだから・・・

S先生は、スーパードクターだった=家へ帰ってPCで見てやっと気が付く私・・・

そして、北海道の方が右を手術した時のこと詳しく説明してくれて、とても参考になった=一週間で退院し、宿泊先のビューホテルで

夕食はビュッフェを食べたそうだ!!!ダヴィンチは、保険外だし私のような軽いものでもやる価値があるのか?と、私も迷っていた。

やっと、診察室に呼ばれて「あのー、ダヴィンチ迷っているのですが・・・」(私)

スーパードクターは、(以降スーパー)絵を描いて「痛みも違うし、退院も早くなるよー」と言われ痛みに弱い私は

「お願いします!」と言ってしまった~~~

 

4月22日(土)に入院、検査と手術の説明を受ける。その時、ダヴィンチによる呼吸器外科の臨床研究になっていて、

書類を読んで私がその参加基準を満たしていて、症例数60を研究期間までに満たすのに参加する、ということが分かった。

(でも、保険外料金は変わらないー)

泌尿器科などはもう保険適応になっている。呼吸器科も今は主流が胸腔鏡で、それの次を目指しているのだ。

もう、スーパーにお願いするしかない=と、開き直る・・・・

 

23日(日)は何も無いので外出許可をもらい、手術後は1~2か月ダメと言われたので、スポーツクラブへ行き

40分泳いで、サウナたっぷり・・・そして病院へ戻る。

 

24日(月)9時~ 手術室へ=もう、こうなったらまな板の鯉状態・・・

目覚めたときは、ICUで妹が「やっぱり癌だったけど、一番軽いし、上肺すべて取ったので抗がん剤もないそう」と言われた。

我ながら、「がん保険がきくー」と瞬間思った。せっかく切って、ガンじゃなかったらーと、馬鹿なことも思っていた。

父母の時代からは(30年近く前)考えられないくらい進歩している。ICUでも足、腕などは適度に圧縮したり緩めたり動かしている.

 

25日(火)ICUから車椅子で病室へー

あの、北海道の方の言葉を思い出す。2日目が一番辛い~と・・・・

病室へ帰ると、ベッドに寝ちゃダメ!すぐ、歩く。何せ、体は管だらけ、それと共に歩くのでまっすぐ歩けず・・・

麻酔のせいか、手術の疲れか、ウトウト・・・椅子に座りながらなんとか頑張る、そしてまた、少し歩くー

昼食から、普通食。これで、食べられる人といるのか???=いるんだろうな=北海道のおば様???

私は、盲腸のときと同様、麻酔の副作用で吐き気(今回、頭痛はない)何も、食べれず・・・

夜、先生の回診。

何と~~~管を全部取るとスーパーがおっしゃる!!!

土曜の説明では、別の先生ではあったが、徐々に管が取れて3日目ぐらいで一番太い傷口からの管が取れて、退院と聞いていたのに・・・

あれよあれよという間に、抜かれたー

「明日、退院して良いですよー」(スーパー)

「吐き気でご飯食べられないんです!!!」(私)

「家へ帰れば食べられるよー」(スーパー)

「一人暮らしなので、もう一泊させて下さい~~~」(私)

昨日手術で、今日は頭が朦朧、盲腸でさえご飯食べられるまで一週間いさせてもたったのに・・・・

すると、看護師さんが「西山さん、おめでとうございます!」と「退院のしおり」のプリントを持ってきた。

一番太い管が取れた時が、退院なんだ・・・・凄すぎる~

早く退院させて症例にあげる為じゃないのか???とまで疑った・・・

 

26日(水)一晩寝たら、頭はスッキリ。元気っぽい。でも、相変わらず、食べられない・・

妹がおかゆを作ってきてくれた。食べられた!!!地下のコンビニまで歩く。

明日退院する自信が着いてきた。夕方からは、私が入院していることを知らない人、2人からしごとに打ち合わせメール。

また、明日退院の報告を何人かに連絡。金曜にお見舞いに来る人もいた。

 

27日(木)10時に、病室を追い出される。次の人が入るそうだー

手術から4日で退院。やはり、ダヴィンチとスーパードクターのおかげだ。

結果的にはラッキーだったが、感謝はあふれるほどあるが喜びはない。皆、一人一人が大変なのだから・・・・

この間、私が考えたこと、学んだこと、どうやってこれから生きていくのか?

今回のことは、真摯に受け止めてこれからやっていかねばーと思う。帰っても、家の中の雑用(まず稽古日の変更の連絡)一日ちょこちょこー

 

29日(金)今日からゴールデンウィーク。私は、リハビリだ=夏物の入れ替えと掃除ー汗を少しかく位、動くことー

術後の症状は、まず肺活量が=息が思うように入らない。毎朝、仏壇に「般若心経」と「観音経」を上げるが、息も絶え絶え・・・

あとは、咳だ。出だすとなかなか止まらないし、傷口に響く・・・・(これは、数か月つづくらしい)

痛みは、薬=今は、我慢しなくて良いそうだ。

今日は、椎名町の長崎神社、そして金剛院様までお礼参り方々散歩を兼ねてー

寺カフェ「なゆた」でスイーツを、ちょうど若い方たちがジャズのライヴをやっていた。新緑の美しさに癒されるー

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ゴールデン明けから、仕事復帰します。仕事もリハビリ!

新たな気持ちで…

長々、申し訳ありません・・・