報告ですー

一部の人にしか言ってなかったのですが、いろいろご心配くださる方もあり、また、無事に今を迎えることが出来ましたので、

報告させていただきますー

 

豊島区の肺がん検診で引っかかり、大きな病院で半年ごとの経過観察が続いていました。

昨年10月に「少し大きくなっているようなので、手術します!大きめに切りますので頑張りましょう!」と言われ何のことか理解できず・・・・

PCで調べて、多分これだろうと想像が出来て、急ぐ状態ではないことは分かりました。

妹がもう一件病院行ったほうが良いというアドバイスで、もう一つの大病院でイチからやり直しの検査ー

前の病院を逃げたことは言ってますので、「ウーン、切ってもガンじゃ無いかもしれないし、消えちゃう場合もあるしね~」また、経過観察ー

とにかく、切羽詰まった状態ではないことは分かっても、私にとっての一番は「仕事」=仕事が出来ないのならいなくなっても良いー

これしかない自分をつくづく身につまされました。

 

折しも、次の誕生日を迎えると母が亡くなった年と同じになります・・・・

ついに、来たかーと思いました。

毎日が、何か違う自分になっていましたー

 

12月の検診も、経過観察になりこれで来年3月の「あかつき会」が出来ると確信でき、とても嬉しかったです。

もう、稽古に入っていたのですが、「もしかして、手術といわれたら???」という不安がありました。

入院Ⅰ週間、仕事復帰までⅠ週間と聞いていましたので、私のわがままな理想は、新学期をちょっと手を付けて、手術するなら4月の末

そして、ゴールデンウィークで静養して、ゴールデン明けに復帰でした。

2月の検診で「ウーン、やっぱり消えないから切りましょう!」と外科へ廻されました。

これで、私の理想通り(?)の手術になりました。毎回、ドキドキも精神的に辛いですー

それから、思い切り会や他の仕事に集中することが出来、ある種のハイ状態のようにアクティブでした。

 

そして、4月3日が手術前の最後の診察でした。

まず、CTをとるときに、女性の係の人が「S先生って、どれ位待つんですか?」と聞かれ「そうね、午前中だと50人待ちくらいで、

今日は(15時ぐらい)29人待ちー」と私=それでも気が付かないワタシ・・・

そして、診察の待合室は座るところがない位で一体いつになるのか???

周りの診察は終わってきた・・・

そこへ、隣に座っていた方が「ダヴィンチ進められている方はいませんか?」と周囲の人に聞いてきた。

私は、勧められていたので、手を上げてお話をしだした。その方は、何と北海道から来ていて昨年10月に右をやって、来月左を手術するのに

ダヴィンチを勧められたという、70以上のお年だがすごく積極的でPCでいろいろ調べている。私の後ろの方は、長野県から来月、左を全摘だそうで・・・私は、この方たちから見れば言うのも恥ずかしい位の手術だし、30分位で来られるのだから・・・

S先生は、スーパードクターだった=家へ帰ってPCで見てやっと気が付く私・・・

そして、北海道の方が右を手術した時のこと詳しく説明してくれて、とても参考になった=一週間で退院し、宿泊先のビューホテルで

夕食はビュッフェを食べたそうだ!!!ダヴィンチは、保険外だし私のような軽いものでもやる価値があるのか?と、私も迷っていた。

やっと、診察室に呼ばれて「あのー、ダヴィンチ迷っているのですが・・・」(私)

スーパードクターは、(以降スーパー)絵を描いて「痛みも違うし、退院も早くなるよー」と言われ痛みに弱い私は

「お願いします!」と言ってしまった~~~

 

4月22日(土)に入院、検査と手術の説明を受ける。その時、ダヴィンチによる呼吸器外科の臨床研究になっていて、

書類を読んで私がその参加基準を満たしていて、症例数60を研究期間までに満たすのに参加する、ということが分かった。

(でも、保険外料金は変わらないー)

泌尿器科などはもう保険適応になっている。呼吸器科も今は主流が胸腔鏡で、それの次を目指しているのだ。

もう、スーパーにお願いするしかない=と、開き直る・・・・

 

23日(日)は何も無いので外出許可をもらい、手術後は1~2か月ダメと言われたので、スポーツクラブへ行き

40分泳いで、サウナたっぷり・・・そして病院へ戻る。

 

24日(月)9時~ 手術室へ=もう、こうなったらまな板の鯉状態・・・

目覚めたときは、ICUで妹が「やっぱり癌だったけど、一番軽いし、上肺すべて取ったので抗がん剤もないそう」と言われた。

我ながら、「がん保険がきくー」と瞬間思った。せっかく切って、ガンじゃなかったらーと、馬鹿なことも思っていた。

父母の時代からは(30年近く前)考えられないくらい進歩している。ICUでも足、腕などは適度に圧縮したり緩めたり動かしている.

 

25日(火)ICUから車椅子で病室へー

あの、北海道の方の言葉を思い出す。2日目が一番辛い~と・・・・

病室へ帰ると、ベッドに寝ちゃダメ!すぐ、歩く。何せ、体は管だらけ、それと共に歩くのでまっすぐ歩けず・・・

麻酔のせいか、手術の疲れか、ウトウト・・・椅子に座りながらなんとか頑張る、そしてまた、少し歩くー

昼食から、普通食。これで、食べられる人といるのか???=いるんだろうな=北海道のおば様???

私は、盲腸のときと同様、麻酔の副作用で吐き気(今回、頭痛はない)何も、食べれず・・・

夜、先生の回診。

何と~~~管を全部取るとスーパーがおっしゃる!!!

土曜の説明では、別の先生ではあったが、徐々に管が取れて3日目ぐらいで一番太い傷口からの管が取れて、退院と聞いていたのに・・・

あれよあれよという間に、抜かれたー

「明日、退院して良いですよー」(スーパー)

「吐き気でご飯食べられないんです!!!」(私)

「家へ帰れば食べられるよー」(スーパー)

「一人暮らしなので、もう一泊させて下さい~~~」(私)

昨日手術で、今日は頭が朦朧、盲腸でさえご飯食べられるまで一週間いさせてもたったのに・・・・

すると、看護師さんが「西山さん、おめでとうございます!」と「退院のしおり」のプリントを持ってきた。

一番太い管が取れた時が、退院なんだ・・・・凄すぎる~

早く退院させて症例にあげる為じゃないのか???とまで疑った・・・

 

26日(水)一晩寝たら、頭はスッキリ。元気っぽい。でも、相変わらず、食べられない・・

妹がおかゆを作ってきてくれた。食べられた!!!地下のコンビニまで歩く。

明日退院する自信が着いてきた。夕方からは、私が入院していることを知らない人、2人からしごとに打ち合わせメール。

また、明日退院の報告を何人かに連絡。金曜にお見舞いに来る人もいた。

 

27日(木)10時に、病室を追い出される。次の人が入るそうだー

手術から4日で退院。やはり、ダヴィンチとスーパードクターのおかげだ。

結果的にはラッキーだったが、感謝はあふれるほどあるが喜びはない。皆、一人一人が大変なのだから・・・・

この間、私が考えたこと、学んだこと、どうやってこれから生きていくのか?

今回のことは、真摯に受け止めてこれからやっていかねばーと思う。帰っても、家の中の雑用(まず稽古日の変更の連絡)一日ちょこちょこー

 

29日(金)今日からゴールデンウィーク。私は、リハビリだ=夏物の入れ替えと掃除ー汗を少しかく位、動くことー

術後の症状は、まず肺活量が=息が思うように入らない。毎朝、仏壇に「般若心経」と「観音経」を上げるが、息も絶え絶え・・・

あとは、咳だ。出だすとなかなか止まらないし、傷口に響く・・・・(これは、数か月つづくらしい)

痛みは、薬=今は、我慢しなくて良いそうだ。

今日は、椎名町の長崎神社、そして金剛院様までお礼参り方々散歩を兼ねてー

寺カフェ「なゆた」でスイーツを、ちょうど若い方たちがジャズのライヴをやっていた。新緑の美しさに癒されるー

2017429233518.JPG2017429233740.JPG

 

ゴールデン明けから、仕事復帰します。仕事もリハビリ!

新たな気持ちで…

長々、申し訳ありません・・・

お問い合わせ

【お稽古日】月・火・木 10:00~21:00 / 土 13:00~18:00 【定休日】水・金・日
あかつき会通信
ページ上部へ